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「鯉の滝登り」とは、立身出世の為、果敢に挑戦する姿を現します。
「登竜門」とは、人生の岐路となる関門で大きな試練を意味します。
竜門とは、中国黄河の中流に実在する激流で、
そこを登りきった鯉のみが、上流で「龍」となり
やがて作物に実りをもたらす水神様として人々に信仰されます。
実際の鯉は遡上しませんが、鮭や鮎が産卵・成長の為
命懸けで河を登る姿が「夢への挑戦」と重られました。
唐紙には多くある桐紋の一つで、茶道柄でもあります。
「七福神」の一人である布袋様は、財産と幸福をもたらす最高の神様で、
中国の唐の時代に実在したお坊さんだそうです。
ふっくらとした容姿を思わす、福々しいデザインは「琳派」の意匠とされています。
「布袋さん」の様にゆったりとした心持で、穏やかな日々を過ごす!
皆様にも福の神が現れます様に、弊社もお相伴に預りたく宜しくお願いいたします。
お香は、仏教と共に大陸からやって来ました。
当時は宗教色のみ強いイメージも有りましたが、
やがて室町時代には香りを楽しむ「香道」として、
公家の「御家流」 武家の「志野流」の二大流派が誕生しました。
紫式部の代表作「源氏物語」は光源氏の生涯、繁栄から没落までを描いた物語です。
それを構成する54帖の命題と、香の組み合わせを聞く「組香」の52通りの呼び名は、
公家文化への憧れや、古典文学への関心もあり人々に広く愛されます。
「初音」は、第23帖。
明石の御方が明石の姫君に送った和歌「年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ」
有職故実の香りを醸す品格の文様です。
「麗らか」とは、澄んだ空が晴れ渡り日差しの柔らかな、春の訪れを待ち侘びた「喜び」を意味します。
しかし、昨今の夏の猛暑、春よりも「秋」の訪れを待ち侘びるのは、現代人の共通の願いかも知れません。
日本では、古来より「吊り忍」に風鈴を下げ、風になびく姿や鈴の音「五感」で涼を取りました。
令和6年の夏「秋の喜び」をデザインで表す「秋麗(あきうらら)」の唐紙。
来年は、涼しくなります様に… よろしくお願いいたします。
春が訪れ、遠くの景色が霞んで見えるような情景を春霞と呼びます。 「ひさかたの 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春たつらしも」 万葉歌人である柿本人麻呂が、夕べの山にかかった霞を見て、 春の訪れを感じた情景を詠んだ詩です。 歌が詠まれてから千年以上も経ちますが、現代でも共感できるものだと思います。 実際のところ春霞とは、大気中を漂う水分、花粉、黄砂と直接目に見えない 細かい粒子が影響し、そのような景色となるそうです。そのはっきりと形の無い ものでさえ形づくり、文様化してしまう先人たちの感性には驚きです。
雪と梅が一緒に登場する詩は、多く残されました。 「我が岡に 盛りに咲ける 梅の花 残れる雪を まがへつるかも」 我が家の岡に咲いている梅の花、あまりに見事な白さから、消え残った雪と 見間違えてしまったことよ 『万葉集』より、大伴旅人の歌です。 特に古い時代の詩に登場する「梅」とは白梅を指し、 雪を表現するのに使われたり、逆に梅を表現するのに雪が使われることも。 また、中には雪と梅とで白の美しさを競わせるような詩も残っています。
鶴はその堂々たる佇まいや美しさ、遠くまで響き渡る鳴き声を持つことから、 古くより中国では仙人や仙人の乗り物、君子象を表現する対象として登場しました。 特に雲の合間を飛翔する鶴の文様は、他より抜きん出て優れた人物を表すとされ、 平安時代には有職文様として極めて高い身分の人々に使用されたようです。
桐文様は江戸時代より幅広い層の人々に使用され、様々なデザインが生まれました。 兎桐は柄の名から推測すると、兎に見立てた桐文様として生み出されたものでしょう が、どの様な経緯でこの形と成ったのか、由来は定かではありません。 柄名のみで考えると桐は短期間で成長し、兎はその脚力で逞しく飛躍します。 それぞれ近い意味合いを持つ象徴が掛け合わされ、力強い成長の願いが込められてい るのでしょうか。 しかしその強さをシンプルで愛らしく、一見桐にも兎にも見えないような姿に忍ばせていることが、何だか粋に思えます。
「朝顔」は、奈良時代に薬として伝えられ「牽牛花(けんぎゅうか)」と呼びました。
高価な薬で牛と取り引きされた故事によるものです。
「アサガオ」の名前の由来は、「朝の容花(かおばな)」の変化によるもので、 容花とは美しい容姿を持つ花事。
つまり朝顔は「朝の美人」という意味で現在も大人気です。
毎年、七月六日からの「入谷の朝顔祭り」は江戸から続く大イベントで、 真夏の日差しを和らげる「緑のカーテン」は夏の風物詩です。
「朝顔に われ恙(つつ)がなき あした哉(かな)」
今日も無事に朝顔が見れた、明日もきっと見る事が出来るだろう。
生まれつき体の弱かった正岡子規は、結核の為に34歳の若さで亡くなってしまいます。
子規にとっては、毎朝朝顔を見る事は簡単な事では無かったのでしょう。
桜満開の時期に降る雨を「桜散しの雨」などと耳にします。風流に聞こえますが、古来の風習による「桜散し」とは「旧暦3月3日の花見の翌日、若い男女が会食etcをする事を意味していました。現代のコンパの風流隠語のようなものでしょうか?
「花ちらす 風のやどりはたれかしる 我に教へよ 行きて恨みむ」
桜の花を散らす風が、何処か居るところを誰か知っているだろうか?私に教えてもらえれば訪ねて恨み言を言ってやろう。
雪の結晶を花に見立てた「雪華文様」は, 幕末の古河藩藩主「土井 利位(どい としつら)」によって発見されました。 利位は職務の傍ら、オランダ製の「カルペパー型顕微鏡」を片手に 雪の結晶を観察します。 20年の研究の集大成として、日本初の雪の結晶図鑑「雪華図説」を発表します。 その図案は、資料にとどまらず「意匠」として多くの工芸品に今も見られます。
朽木とは「きゅうぼく」とも読み、字の通り「朽ちた木」の事です。
語意は、不遇のまま一生を虚しく終える人生の例えで
「朽ち木は柱にならぬ」
心根の腐った者には、重要な物事は任せられない など、散々です。
しかし、図案としての朽木文様は平安時代に流行し、現在も神社の祭壇幕に見る事が出来ます。
朽ち果て滅びゆく姿に美を見い出す感覚は、日本人の豊かな美意識です。
琳派の意匠とされる「光琳観世水」のリズミカルな流水に金魚を泳がせました。
江戸の頃から、夏の風物詩として優雅に泳ぐ姿に「涼」を取り、
嬉しそうに餌を食べる様子は「癒し」を与えてきました。
我が家にも「オランダ獅子頭」の夫婦がいますが、先日多くの卵を産みました。
親と稚魚を隔離したり、稚魚用の餌を買いに行ったりお世話の真只中です。
結構大変ですが、可愛い姿に癒されます。
しのぶ科の羊歯植物、土が無くても耐え忍んで育つので「忍草」と呼ばれています。
その昔、陸奥の国 信夫郡(福島県福島市)の名産品に「信夫摺り」が有りました。
信夫の茎や葉の色素を布に擦り付け、模様を現した布を用いた衣服です。
「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり たれ故(ゆえ)に 乱れそめにし 我ならなくに」
陸奥の信夫の里の名産、乱れ模様の「しのぶもじずり」の様に心が乱れてしまうのは、僕ではなく?君のせいだ。
初冬になると、きれいに掃き清められた茶庭や路地には、松の葉が一面に敷き詰められます。
苔が霜で傷むのを防ぐ為と、茶庭を詫びた風情にするためです。
芝生を用いない日本庭園独自の冬の装いです。
蜀江とは、中国の蜀の首都を流れる河で、この地域では良質な絹織物を生産しました。
三国時代の紅地の豪華な錦織は、日本にも輸入され「蜀江錦」としてもてはやされました。
八角形と四角形を繋ぎ連続させた文様で、中に唐華や蓮・忍冬(すいかずら)等々の多くのバリエーションが有ります。
吹き寄せとは、種々の落ち葉や木の実が風によって吹き集められた風情を意匠化したものです。
楓・銀杏・松葉・松ぼっくり・木の実が良く用いられます。
他にも、彩りよく盛り合わせた料理や、美しい干菓子の名前にもなっている趣のある柄です。
しのぶ科の羊歯植物で、土が無くても耐え忍んで育つ事から「忍草」と呼ばれています。
根茎と苔とを丸めて軒下にぶら下げ、そよ風に揺れる姿で涼をとる「吊り忍」は夏の風物詩です。
「百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)のしのぶにも なほあまりある 昔なりけり」
貴族の時代の衰退期に詠まれた詩で、かっての栄華を「偲ぶ」思いと、荒れ果てた家軒に良く見る「軒忍」の意味が掛けられています。
「花鳥風月」とは、日本で生まれた四文字述語です。
四季折々の自然の草木や、美しい景色を意味しており
その昔、貴族や武家が自然の景色を愛でながら詩を詠む‘‘風雅な遊び‘‘の事を「花鳥風月」と呼んでいました。
花鳥は、花を愛で鳥のさえずりに耳を傾ける風流な心。
風月は、自然の風景に親しみ風流を楽しむ事を意味しています。
東大寺に伝わる紋様は、豊かな精神世界を具象化した意匠でもあります。
茶道、三千家共通の好み柄。
「つぼ」は、茶懐石の器に用いられる事が有りますが、その起源は埴輪と共に出土した土器とされており
「子供の玩具説」と「お供え用の器説」があります。
信仰の厚い千宗旦が伏見稲荷で売っていた「つぼ」を土産に持ち帰ったのが始まりとされています。
中国の伝説に「鳳凰は、梧桐の林に棲み竹の実を啄み、天子の徳を祝福に現れる」と伝えられています。
桐は、皇室の高貴な紋様として地位を高め、天皇から下賜された者だけが権力の象徴として家紋に使用しました。
唐紙柄の中でも「桐」はバリエーション豊かですが、最も精密に彫刻されたのが「豆桐」です。
版木の耐久性を考慮して、桜の板を使用しました。
網代とは、「魚を捕る網の代わり」の意味で、木や竹を薄く加工し交互に編んで作った物の総称です。
「朝ぼらけ 宇治の川霧(かわぎり) 絶え絶えに あらはれわたる 瀬々(ぜぜ)の網代木」
平安時代の宇治は貴族の別荘地で、あの平等院鳳凰堂も藤原道長の別荘でした。
初冬の宇治川で稚鮎を捕る、網代漁が風物詩となり人々の憧れと共に多くの詩に詠まれました。
「河の瀬」は水深が浅く流れの速い場所で、太陽が川底の藻を育て虫が集まり魚の餌となります。
逆に水流が穏やかで深みのある場所を「淵(ふち)」と呼び、魚の休憩場所や棲み家となり河の生態系を担っています。
「松浦川(まつらがわ) 河の瀬光り鮎釣ると 立たせる妹(いも)が 裳(も)の裾(すそ)濡れぬ」
佐賀県北部の松浦川の河の瀬は光り、鮎を釣ろうと立っているあなたの服の裾は美しく濡れています。
鮎釣りをする美しい女性の姿と、土地の魅力を称える一首です。
竜田川は、奈良県斑鳩町を流れる一級河川です。
古くから紅葉の名所として、百人一首の在原業平の歌が有名です。
「ちはやぶる 神代(かみよ)も聞かず竜田川 韓紅(からくれない)に 水括る(みずくく)るとは」
不思議な事が多く起きた日本神話の昔にも聞いたことがない、紅葉が竜田川の水を深紅にくくり染めにするなんて。
色男の業平ですら、実らなかった恋を嘆いた一句です。
松竹梅とは、中国文人画の画題「山寒三友(さんかんさんゆう)」が日本へ伝わったもので、元々は文人の理想「清廉潔白」の意味でしたが、日本には「目出度い」事の象徴として伝わりました。
松は、冬にも常緑で枯れない「長寿」
竹は、しなやかで成長の速い「生命力」
梅は、年老いても早春には薫り高い花を咲かす「気高さ」
いずれも目出度く、人の理想の姿です。
武蔵野は、関東平野の西部の地名で荒川と多摩川に挟まれた一帯を指します。
元々は森林だった場所を焼き畑農業により開墾し、その跡地は広大な原野となりました。
人により作られた野原に萩芒が生い茂り、やがて「月の名所」として多くの文芸作品や美術、工芸品のモチーフにされてきました。
「吹上」は和歌山市の南部に有る地名です。
今は住宅地になってしまいましたが、平安時代の頃は一帯が砂浜で「浜菊」と呼ばれる野菊が、所狭しと咲き誇っていました。
その美しい姿を見た菅原道真が読んでいます。
「秋風の 吹上に立てる白菊は 花かあらぬか 浪のよせるか」
吹上の浜に群生する菊が、秋風に吹かれざわめく様子が浜に打ち寄せる浪のようだ。
空気中の水蒸気が冷やされ、秋草に降りた露の玉は朝日と共に消え行きます。
儚く消え行く姿は、秋のもの悲しさと相まって情緒的な心を捉えました。
「道芝の 露にあらそふ我が身かな いずれかまづは 消えんとすらん」
藤原実頼の自分の死を予期する人生の「はかなさ」や、
「分けわびぬ 袖の別れの しののめに 涙おちそふ 道芝の露」
一夜を過ごした男女が、夜明けと共に分かれ行く秘め事の虚しさを意味します。
亀甲とは、亀の甲羅の事で「鶴は千年、亀は万年」の言葉通り、長寿吉兆の象徴として伝統的な日本の吉祥紋様となりました。
亀甲紋は、奈良時代に中国から伝えられたとされ出雲大社や厳島神社等の神文にも使われています。
現代でも宮中行事として「アオウミガメ」の甲羅を火にくべ割れる様子で五穀豊穣を占う「亀ト(キボク)」の儀が行われています。
唐紙柄には、波や渦「水」の自然現象を意匠化した文様が多く在ります。
「光琳大波」「荒磯」「流水紋」が有名で、動きのある波の躍動感を巧みに捉えた柄の多い中、
もっとも穏やかな景色が「遠波」です。
穏やかな秋の海を連想します。
「青海波」は、日本の有名な伝統柄の一つですが、
発祥は意外「ササン朝ペルシャ(226-651年)」とされておりシルクロードを経て飛鳥時代に日本へ伝わったとされています。
日本では「青海波」ですが、発祥地や西洋では「スケール紋様」魚の鱗柄として知られています。
江戸時代の漆工「青海勘七」が青海波を工芸品のモチーフにし「ジャポニズム」の流行と共に、海外へ逆輸入されて行きます。
正倉院に伝わり「御鳳輦錦ノ裏綾華紋」と呼ばれた紋様です。
天皇の正式な乗り物である「鳳輦」の内部装飾に使われた紋様であり、
美術品のコレクター、茶人としても有名な住友財閥十五代目当主、
住友春水の茶臼山本邸の唐紙柄としても用いられた資料が残されています。
しかし、本邸地は大阪市立美術館を建設の為、大阪市に寄贈され、
邸宅は取り壊され幻の唐紙となってしまいました。
正倉院に伝わる「七宝文錦」と呼ばれる経錦の意匠です。
大小二種類の輪を互い違いに連続させた文様で、大きい輪の中心に十字型の花紋を配置してます。
その「十字の花紋」を仏教において重要なシンボルであるエンドレス・ノット「無限の結び目」に見立て、「輪廻七宝」と名付けました。
住友財閥、15代目住友春翠の茶臼山本邸の唐紙柄として用いられた資料も残されています。
宝相華とは実在の花では無く、ありとあらゆる美しい花を合わせて創られた空想の花です。仏教装飾に良く見られますが実態はペルシャ的要素が強く似たデザインも多くあります。
実在しない想像の世界に咲く花ですから、人々の意識の中で仏教徒の極楽に咲く花なのかもしれません。正倉院の宝物としても有名な柄です。
古代メソポタミアの頃より獅子は百獣の王であり、その恩恵は太陽の力にも匹敵するとされました。聖所を守る聖獣として門に彫刻が残されています。
その伝統はヨーロッパにも受け継がれ、邪気払いの為扉の把手に獅子頭のデザインが良く見られます。
当時、ライオンを知らない日本にも邪気を払う架空の動物として中国より伝わり、仏教においては寺院の守護者として奥襖に使われています。
「元永本古今集」や「三十六人家集」の料紙として頻繁に用いられています。
菱型の中に入る華のデザインが微妙に違う物が多く、柄違いの版木が多数あったようで当時の人気柄であった事がうかがえます。
葡萄は最も古い栽培植物の一つで生命と豊穣の象徴です。
「葡萄唐草」文様の裂地はシルクロードを通った多くの物流品の中でも代表的な存在で、西方文化が東へと伝わって行く歴史を見守ってきました。
シルクロードの最終地点とも云われる正倉院に伝わる宝物裂としても有名な柄です。
名前の由来は分かりませんが、古い唐紙の見本帳にこの紋様があり「虎屋菱」と名付けられていました。
中国や朝鮮の「宝相華」「唐花」に似たデザインが有り、そこに松葉が加わっています。
シルクロードにより伝わった柄を日本でアレンジした物でしょう、大陸の雰囲気が色濃く感じられます。
規則的に並んだ唐草に各種の花や果実が描かれています。
いずれもこれを描いた地方の重要な特産品なのでしょう。
この柄もシルクロードによって伝わったとされる物で、イギリスの古代染織にも大変良く似た柄が見られます。
奈良時代にシルクロードを通って日本に伝わったとされる柄の一つ。日本人はこれらの柄を最初は模倣し、次第に消化し新しい「日本の紋様」を開花させていきます。
この蔓果実紋様も、日本では目にする事の無い南方の異国情緒あふれる果実が実っています。平安時代以前の人や物の流れ、文化交流に想いを馳せます。
菊は不老不死、延命長寿、無病息災、邪気払いの意味が有ります。また、市松紋様は石畳とも呼ばれ古くから用いられてる伝統の紋様です。
江戸時代の歌舞伎役者、佐野市松が愛用したので俗に「市松紋様」と呼ばれるようになりました。
市松紋様は、「霰(あられ)」「石畳」と呼ばれていた伝統文様でした。歌舞伎役者、佐野川市松が袴に用い大流行して以来「市松紋様」と呼ぶ事が多くなりました。
当時の歌舞伎は伝統柄の名称さえ変えてしまう程の人気でした。
菊と桜はどちらも日本を代表する花です。菊花紋章は、最高権威の象徴で皇室のみが使える紋章でした。
桜の代紋「旭日章」は日本の警察のほか、多くの国家機関のシンボルマークとして用いられています。
東洋・西洋共に古くから見られる文様で、日本では平安時代の仏像の衣に切金で描かれた物が古いとされています。
「麻の葉」紋様と呼ばれるようになったのは近世になってからで大麻の葉に似ていた事から呼ばれる様になりました。麻は成長が速く丈夫な事から吉祥紋とされ染織をはじめ工芸品・建築意匠などに応用されました。
森林の木立の中へ太陽の日差しが漏れる光景、そんな様子を幾何学文様(チェック柄)で表現しました。
大自然で森林浴すると、脳がリラックスして疲労回復の効果が有ります。「日々健やかに過ごせます様に」そんな願いが込められています。
波を扇型の曲線で表す幾何学文様で、無限に広がる大海原に絶える事なく繰り返される穏やかな波は、平穏な暮らしがいつまでも続く様にとの願が込められた吉祥紋様です。
古代オリエントや中東のペルシャ陶器にも同じ柄が有りますが、西欧人には鱗模様として認知されています。
網目とは漁業に使う道具の事で大漁を意味する吉祥紋様です。七宝柄には平和の願いが込められています。
今も昔も争いの無い幸せな暮らしを願う気持ちに変わりは有りません。
一見、「お花畑」を図案化した様な可愛らしい柄で、円を四分の一ずつ重ねて継いでいく七宝繋ぎの変形と考えられます。
七宝繋ぎとは「隣り合うものが互いに空間を共有し合う」形であり、世界平和を願う形です。オリンピックの五輪も五大陸が共に空間を共有するデザインです。
三升紋(三つの正方形を重ねた模様)を互い違いに組み合わせた連続模様。歌舞伎役者の八代目市川団十郎が「一谷武者絵土産」の岡部六弥太に扮した時に裃にこの文様を用いた事から名付けられました。
「歌舞伎」の由来は「かたむく」(かたむく)の古語である傾(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」であると言われています。戦国~江戸時代にかけ京や江戸で流行した派手な衣装で常軌を逸脱した行動する者達を「かぶき者」と呼びました。
全ては渦巻で構成されている説があります。太陽のある銀河系も渦巻く宇宙の一部であり、私たちの遺伝子も螺旋状になっています。
渦巻き紋様は、古代ケルト文明・メキシコのマヤ文明・南米インカ文明にもそれぞれ見られます。古代の人々も渦に神秘性を見出し、強いエネルギーを感じたのでしょう。
唐草丸と呼ばれる円を描く唐草に秋に咲く花、桔梗と女郎花(おみなえし)が描かれています。
秋の花には風情があり、多くの歌人・芸術家達に親しまれてきました。
松は古代中国の時代より、風雪に耐え巌寒にも常緑を保つ事から「節操高き者の象徴」延命長寿の意味もあります。
唐草にも、それらの思いが永遠に続くようにとの願いが込められています。