お気軽にお問い合わせください。
TEL 075-451-8223
受付時間 9:00~18:00(日・祝日除く)
梅は厳寒の中、香り高く咲く事から、人生の理想として愛されました。
「好文木」とも呼ばれ、学問が栄えると立派な花を付けると伝えられています。
学問の神様、菅原道真公ゆかりの天満宮にも「梅紋」が使われています。
前川文嶺(1837-1917)は、松村景文門下の四条派画家、前川五嶺の子として生まれ、父に画を学んで、如雲社、京都美術協会に参加。
開校時の京都府画学校に出仕し、京都私立日本青年絵画共進会では審査員を務めるなど、明治初期における京都画壇の中堅作家として活躍しました。
孝嶺は、文嶺の子。
中国では、鶴は千年生きるとされ瑞鳥とされ、日本の七福神の一人、福禄寿はいつも鶴を連れています。
めでたい事の前兆として現れる雲「瑞雲」と「飛鶴」との組み合わせは多く有職文様としても有名です。
菊は中国原産で、奈良時代に薬として伝来しました。 今では桜と共に日本を代表する花となりました。
中国では、延命長寿の薬として菊茶・菊花酒が飲まれています。 日本でも、解毒作用があるとして、お刺身などに添えられています。
中国では、山中の巨石より雲気が湧き出るとし瑞祥に使われました。原形は竜唐草紋で、やがて宝雲、飛雲へと発展しました。
日本では、奈良時代より長い尾を引く優美な天平雲や万年茸に似た霊芝雲が有ります。
有職紋として定着したのは、気運がみなぎるところ雲気が動くという中国古文による思想の為です。
森林の木立の中へ太陽の日差しが漏れる光景、そんな様子を幾何学文様(チェック柄)で表現しました。大自然で森林浴すると、脳がリラックスして疲労回復の効果が有ります。「日々健やかに過ごせます様に」そんな願いが込められています。
東洋・西洋共に古くから見られる文様で、日本では平安時代の仏像の衣に切金で描かれた物が古いとされています。
「麻の葉」紋様と呼ばれるようになったのは近世になってからで大麻の葉に似ていた事から呼ばれる様になりました。
麻は成長が速く丈夫な事から吉祥紋とされ染織をはじめ工芸品・建築意匠などに応用されました。
波を扇型の曲線で表す幾何学文様です。
無限に広がる大海原に、絶える事なく繰り返される穏やかな波は、平穏な暮らしがいつまでも続く様にとの願が込められた吉祥紋様です。
古代オリエントや中東のペルシャ陶器にも同じ柄が有りますが、西欧人には鱗模様として認知されています。
波を扇型の曲線で表す幾何学文様です。
無限に広がる大海原に、絶える事なく繰り返される穏やかな波は、平穏な暮らしがいつまでも続く様にとの願が込められた吉祥紋様です。
古代オリエントや中東のペルシャ陶器にも同じ柄が有りますが、西欧人には鱗模様として認知されています。
網目とは漁業に使う道具の事で大漁を意味する吉祥紋様で、同じ文様をくり返すところから「連続するもの」「永遠に続くもの」の意味を読みとります。
「網」は福を「からめとる」「すくいとる」ものとして商売の世界では昔から喜ばれました。
また、根拠のない迷信ですが、網目のお茶碗でごはんを食べると中風(ちゅうぶ)にならないという言い伝えも残っています。
ショウブとして使われます。勝負尚武(武士の心得)と同音のため、武人に特に好まれたようです。
そのため甲冑武具馬具などに多く使用されています。
葉には香気がありまた剣に似ていることから邪気 悪鬼 魔除けに使用されます。
端午の節句に使用されるのもその慣わしからです。寿命延命長寿を願う花の一つでもあります。
寒い冬から目覚めた梅の花が元気に香っています。
光琳の絵画によく見られる、花や鳥等の自然のモチーフを単純化した文様の一つでモチーフの輪郭を強調したユーモアな意匠です。
光琳没後も、擬人化したような生命感溢れる画風は、多くの作家にアレンジされ「光淋文様」として今日に受け継がれています。
「おたふく」顔とは、下膨れの顔で頬がふっくらしているのが特徴です。
今では不美人を指す蔑称として用いられていますが、平安時代にはこれが日本美人の典型とされていました。
嫁ぎ先の家に多くの福を呼ぶ女性と言う意味から「お多福」になったと云われています。
唐紙の「お多福桐」は琳派紋様の一つですが、ふっくらと福々しくデザインされています。
菊と桜はどちらも日本を代表する花です。
菊花紋章は、最高権威の象徴で皇室のみが使える紋章でした。
桜の代紋「旭日章」は日本の警察の他、多くの国家機関のシンボルマークとして用いられています。
市松紋様は「霰(あられ)」「石畳」と呼ばれていました。
歌舞伎役者、佐野川市松が袴に用い、大流行して以来「市松紋様」と呼ぶことが多くなりました。
当時の歌舞伎人気は、古くから在る柄の名前を変えてしまう程でした。
竜安寺(りょうあんじ)は、京都右京区に在る臨済宗妙心寺派の寺院です。
寺の南側に広大な鏡容池(きょうようち)が有り、江戸時代は鴛鴦の名所で「おしどり池」と呼ばれていました。
この紋様は、水面が見えなくなる程多く渡ってきた鴛鴦を図案化したものです。
ちなみに、仲の良い夫婦を「おしどり夫婦」と呼びますが本当の鴛鴦は、毎年パートナーを変えるそうです。
中国の伝統では、鳳凰は王の出現を祝福する鳥で、桐の木に住むとされました。
故に日本での桐紋は皇室ゆかりの人々のみに使用されていました。やがて貴族等も使用しましたが、桐紋は人々の憧れでした。
茶道柄の一つ。青海波として有名な波柄で大波では無く、小さく平穏な波の繰り返しを吉祥としました。
無限の大海を思わせ、島国に住む日本人には大いなる発展を想像させます。
古代オリエントや中近東のペルシャ陶器にもどうようの柄が有りますが、西洋人には、鱗紋様として理解されているようです。
菊は不老不死、延命長寿、無病息災、邪気払いの意味があります。
また、市松は石畳とも呼ばれ、古くから用いられている伝統の文様です。
江戸時代の歌舞伎役者、佐野川市松が愛用したので俗に市松文様と呼ばれるようになりました。
宝相華とは実在の花ではなく、あらゆる美しい花を合わせ、文様として創られた空想の花です。
仏教装飾に良く見られますが、実態はペルシャ的要素が強く、似たデザインも多くあります。
実在しない想像の世界に咲く花ですから、人々の意識の中で仏教徒の極楽に咲く花なのかもしれません。
宝相華文は唐華文とも呼ばれるようになり、一つの文様様式として今日に伝えられています。正倉院の宝物として有名です。
本来、中国では聖天子(徳のある優れた王)が即位すると、めでたい印である鳳凰が現れると伝えられてきました。
この鳳凰が宿る木として神聖視されたのが桐です。
別名『鳥襷』
襷(たすき)とは、着物の袖をたくし上げるために、肩から脇にかけて結ぶ紐のことです。
交差する線を尾長鳥で表現した鳥襷は、有職文様の華やかなバリエーションのひとつです。
屏風裏紙として良く用いられますが、その場合は「雀型」と呼ばれます。
曲線の膨らみが柔らかな文様で、水蒸気がゆらゆらと立ち涌いて登っていく様をあらわしています。
有職文様として能の装束にも用いられ、格調高い柄とされています。
わずかな風で立つ細やかな波は、優しく、おだやかな印象を与えます。近江の枕詞で文学的な趣味をうかがわせます。
箔押しの技法で、箔を切って桐の形を表現したものをいいます。四角い箔の形状によって桐の花が咲く様子を表しています。
龍は中国神話に登場する空想上の神獣です。
雨竜は、成長途中の姿で「大器晩成」の意が込められています。
角を持たず水中に住み五百年で角を持つ龍となります。
さらに千年後に翼を持ち天に昇り、五穀豊穣の雨をもたらす龍神になると言われています。
神話では神龍(水神・海神)として崇められ、雷雲や雨水などをつかさどる神として信仰されていました。
葵は茎が長く伸びて花をつける事から、 発展するという意味を持つ、縁起の良い文様とされています。
葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、 葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)になっています。
菊は不老不死、延命長寿、無病息災、邪気払いの意味があります。
また、琳派文様は俵屋宗達の後継者尾形光琳らによって構成され、題材の部分を省略し、穏やかな描線で極めて簡略化した形態を描いています。
何十年何百年とかけてつくられた木目は場所によって様々な表情を見せてくれます。清々しさと気品ある美しさを醸し出し、私たちの心を和ませてくれます。
別名加茂葵ともいわれ、京都の上賀茂神社の神文となっています。花言葉は細やかな愛情。
表千家好み柄。青海波として有名な波柄で大波ではなく小さく平穏な繰返しを吉祥としました。
無限の大海を思わせ、島国に住む日本人には大いなる発展を想像させます。
古代オリエントや中近東のペルシャ陶器にも同様の柄がありますが、西欧人には鱗文様として理解されているようです。
作り土とは、天を盛った様な形そのものの事ですが、なぜ作り土という呼び方をしたのかその理由は良く分かっていません。
田畑を耕し、作物を収穫する願いが込められているのでしょうか。
山の形には、古くから山岳信仰がある様に、神の宿る場所としてのねがいがこめられているのでしょうか。
通常、カエデ「楓」と呼ばれており、カエデ科の葉が紅葉したものをもみじと呼びます。
「もみじ」とは「もみつ」(平安時代の動詞)の活用語で、秋に葉が紅や黄に色付くことの意味です。
尚、カエデの語源は葉の形が蛙の手の様「カエルデ」から付けられました。
尾形光琳の意匠とされる水文様。
日本の美意識の根源には「美しい水」があり、他国の文化を洗練し日本独自の文化を創ってきました。
水そのものは「清め」の意味を持ち、災厄を除けたり穢れを洗い流したりしてくれます。
観世水という呼び名は、能楽の流派、観世家が定紋に使った所からきています。
茶道柄の一つ。
中国では、古き時代より、風雪に耐え厳寒にも常緑を保つため節操高き者の象徴、延命長寿の意味を持っています。
また人生に例えることが多く、めでたいものとされています。
唐草にも、それらの思いが永遠に続くようにとの願いが込められています。
瓢箪は種子が多いことから、子孫繁栄の象徴とされており、この小柄瓢箪もつぼみと花、実の三世代が描かれています。
また、実りの多いことから「商売繁盛」の象徴でもあり縁起物として愛されています。
厳寒を耐え忍び、春一番に咲く花のため、縁起が良いとされています。
寒中花を咲かせるため、清らかな気品と美しさを表現しています。
また、「好文木」と呼ばれ文学を司る木として有名で、丸紋は日本の家紋文化と共に発展して行きます。
葡萄は最も古い栽培植物の一つで生命と豊穣の象徴です。
葡萄唐草はシルクロードによる西方文化の東への流れを物語る代表的存在であり、文化としてだけでなく、果実としても人々の生活をより豊かにしてきました。
正倉院の宝物として有名な柄です。
古くは「輪違い」と呼ばれていました。四方に同じ大きさの輪が重なり、すべて満ち足りて円満という意を示しています。
また、七宝とは仏典の用語で大変貴重だった七珍(金、銀、瑠璃、玻璃、珊瑚、めのう、しゃこ)の事です。
この文様は平安時代に料紙の柄として使われており、国内で唐紙の模造を始めた当初の図柄です。
平安時代の料紙をして良く見られる図柄で、中の花の形の違う類似したものも多数有り、当時の人気柄であった事がうかがえます。
襷とは着物の柄をたくし上げるために肩から脇にかけて結ぶ紐の事で、斜めの柄を表します。
菱の実だけを食べて長生きしたという中国の仙人の伝説や、竜の怒りを鎮めるため、女の子をいけにえとして捧げる代わりに菱の実を差し出したというインドの仏典の説話などに由来します。
菱型には厄除け魔除けの意味があり、この文様は、平安時代の料紙によくみられます。
微妙な柄違いがあり、何枚もの版木があったものと思われます。仏教と共に伝わった袈裟にも類似の柄を見ることができます。
桐は、中国では鳳凰の住む木として尊ばれてきました。格調高い、代表的な吉祥文様として好まれています。
古代メソポタミアの頃より獅子は百獣の王であり、その恩恵と破壊力は太陽の力にも匹敵するとされました。
聖所を守る聖獣として門などに彫刻されています。その伝統はヨーロッパにも受け継がれ、邪気払いのため扉の把手に獅子頭をデザインする例が良く見られます。
当時、ライオンを知らない日本には、邪気を払う架空の動物として中国より伝わり、仏教においては寺院の守護者として奥襖等にも使われています。
円文唐草はバリエーションも多く魅力的で、特にこの文様は唐草の形がユニークです。
後年陶器によく使われるようになりました。
また、この文様は平安時代、料紙として使われており、国内で唐紙を模造し始めた当時の柄を復刻したものです。
江戸時代、文化文政期「華」から「粋」へと洗練に向かいます。
その中で、有職文様に由来する「桜草唐草」が生まれました。
花茎が長く伸び、おだやかに咲く花が春の桜を思わせます。
花言葉―希望に満ちる。魔除け厄除けの意味を持ちます。
唐草は蔓性植物文様を意味します。
「唐」といっても中国の唐の時代の柄という事ではなく、日本では渡来品、外国品という意味で「唐草」の語を使ってきました。
この唐草文様の歴史は古く、世界各地の広範囲にバラエティーに富んだ文様を見る事ができます。
華唐草は、平安時代の料紙に使われていた柄で、国内でからかみが作られ始めた当時の図柄を復刻したものです。
奈良時代にシルクロードにより日本に伝わった柄で、料紙の下絵として多く使われた文様です。
日本では珍しい、南方の異国情緒あふれる果実が実っています。
平安時代以前の人や物の流れに想いを馳せます。
古来、中国では梅・菊・蘭・竹を四君子「四つの徳のある草木」としました。
蘭は「善人は蘭の如し 王者の香あり」と、蘭のよい香りを身に付ける事で、邪気から身を守ると信じられています。
日本でも、端午の節句に菖蒲湯に入るのは、よい香りで邪気をはらう意味があります。
裏千家の好み柄で、水とのかかわりが深い。始まりも終わりも無い、茶道の世界観をあらわしています。
唐草紋様は、無限に発展し続ける永遠の生命を表しています。
一見複雑な構成ですが、決まったパターンのくり返しで、人類の歴史と想い重ねることが出来ます。
丁子は5~6世紀ごろには日本に紹介されていました。正倉院の宝物の中にも、当時輸入された丁子があります。
松は長寿で、冬でも緑色を変えない所から、吉祥文として用いられました。
今でも、結婚式などの祝儀事には、頻繁に使われています。
尾形光琳の名に由来します。江戸中期に活躍した京都の絵師。俵屋宗達に私淑して、豪華な作品を多く残しました。
この大波も光琳の意匠を生かしたものです。