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朽木文様は平安時代に流行し、現在でも神社の祭壇幕などに見ることが出来ます。
この柄は朽木の虫食い跡を図案化したもので、日本人の美意識の豊かさをあらわしています。
朽ち果て滅び行く姿に美を見いだす感覚は、日本人ならではのものです。
笹は竹の類で形が小さいものを総称します。竹は中国では祝と同音同声であることから、めでたいもの、平安をもたらすものとされています。
竹取物語で、かぐや姫が竹から生まれたようにまっすぐに伸びる竹は、古くから神聖視されていました。
また、中国では梅・蘭・菊とならび四君子として高潔で美しいものとされ、愛でられました。
竹はまっすぐで、強く折れにくい事から、不屈の精神、忍耐力を表します。 また、中は空で隠し事や邪悪な心が無いことを意味します。
七宝は、「金、銀、瑠璃、玻璃、珊瑚、めのう、しゃこ」の事で、貴重で珍しいものでした。
吉祥文様の1つで、限りなく伸びるところから、縁起のよい文様とされています。
朽木文様は平安時代に流行し、現在でも神社の祭壇幕などに見ることが出来ます。
朽木雲は朽木の虫食い跡を図案化し、雲がたなびいている様をあらわしています。
千変万化する雲の形、木の朽ち果て滅び行く姿に美を見いだす感覚は、日本人ならではのものです。
中国の宗教上の吉祥、「八宝」「雑宝」が日本へ伝わり変化し、「宝尽し」になります。
この唐紙は、日本の「宝尽し」と元となった中国の「八宝」の両方で構成しており、互い違いに配置されています。
線の太さや、数・間隔・色などによって多くの種類があります。
桃山から江戸時代にかけ、南蛮貿易などで多くの縞文様裂が輸入されました。
縞と呼ばれるのも、これらの裂が東南アジアの島々で織られていた事に由来します。
嵯峨野は、太秦を拠点とした渡来人「秦氏」が開墾したとされています。
平安貴族の遊猟、行楽地として栄え、地名にもなった嵯峨天皇の別荘が「大覚寺」です。
当時は、一面に広大な「すすき野」が生い茂っていたそうです。
有職文様の代表的なものの1つで、別名「浮線綾の丸」とも呼ばれています。
また、四羽の蝶が向かい合い羽根を伏せた様に見える事から「臥蝶の丸」と呼ばれるようになりました。
王朝文様の一種として、西本願寺本三十六人歌集にも使用されています。
シルクロードにより伝えられた文様には、南方の国の名産品でしょうか?
日本では見慣れない木の実、果実が描かれていますし、イギリスの古代染色にも類似柄が見られます。
日本に紹介され、定着した文様の中でも古いものの1つです。
兎は「日本書紀」の因幡の白兎をはじめ、月の精とされたり神聖な動物とされています。
中国では、月には兎が住み、不老不死の薬を搗いているとされ、日本に伝わりお餅を搗くようになりました。
十五夜の望月(もちづき)からの転化と、日本人には餅の方がなじみだったのでしょう。
「月に兎」は定番中の定番で、この向うむき兎も丸みをおび、月を連想させます。
バラ科サクラ属の落葉樹。
桜は日本の国花で、優雅に咲き散りゆく姿が日本人の心をとらえ、多く意匠化されました。
京都にも、日本各地に名所が多数あります。
梅は厳寒の中、薫り高く咲く事から人々の理想として愛されました。
「好文木」とも呼ばれ、学問が栄えると立派な花を付けると伝えられています。
氷裂の中に梅の花が咲いており、春の訪れを告げる吉祥として使われています。
梅と氷の組合わせは以前からあり、氷裂の中に描かれる花といえば梅と決まっています。
「秋の七草」の一つ。
優美な花で、はかなげな印象も醸しだします。
平安時代の有職文様が丸の文様の始まりとされており、その後、家紋の発展と共に多くの種類が増えました。
「萩の丸」は江戸時代頃に大流行した「花の丸文様」の1つです。
荒波の打ち寄せる磯は、いつまでも続く生命力を感じさせます。
「 荒磯の岩に砕けて散る月を 一つになして 帰る浪かな 」
江戸前期の水戸藩主、家康の十一男 頼房の三男、徳川光圀の詠んだ歌です。
打ち寄せる波に写った月が岩にぶつかり砕かれますが、引いてゆく波にみるみる蘇ってゆく月の様子に自身の姿を重ねています。
名君の誉れが高い光圀の精神を垣間見る一句です。
鎌倉時代から江戸初期にかけ伝わった高級絹織物「名物裂」のひとつです。
花兎と称する裂には数種類あり、名称のとおり、花と兎を織りあらわしたものです。
花は作土文になっていて、兎は振り向いた形のものが多く花兎文、作土形ともいいます。
作土とは、耕地の上層の土壌のことをいい、「草花文」や「草花と動物文」をその花樹が根づいた土壌までを単一の文様としてあらわしたものをいいます。
七宝は、古くは「輪違い」と呼ばれていました。
四方に同じ大きさの輪が重なり合った円満に満ち足りるという意味の型です。
そこに「宝尽し」(打出の小槌、鍵、宝珠、分銅、宝巻、方勝、隠笠)をちりばめると「宝七宝」になります。
福徳を呼び込む吉祥文様として人気です。
唐紙に多数ある桐柄、モチーフの特徴を捉えた「琳派柄」の一つです。
七福神の一人、太った腹を突き出し、布の大袋を携えた「布袋様」を思わす福々しいデザインになっています。
「福が舞い込みますように」そんな願いが込められています。
武者小路千家の好み柄で「吉祥草」は別名「観音草」とも呼ばれています。
”吉事があると花が咲く”と言うのが名前の由来とされており、滅多に花は咲きませんが普段の地味な姿からは想像できないような艶やかな花をつけます。
吉祥草は、悪いものを遠ざけるお守りともされてきました。
時折、庭先に植えられているのを見かけますが、「良いことがありますように」との思いが込められているのでしょう。
七宝の円形は円満を表し、吉祥文様とされます。
幾何学模様を部分的に欠いた文様を『破れ』といいます。
七宝のように円を重ねて繋ぐ文様は世界中で見られますが、破れ七宝のように意図的に一部を描写しない文様はあまり例がありません。
尚、平安貴族は「濁音」を用いませんので、「破れ」は ‘‘やぶれ‘‘ でなく ‘‘やれ‘‘ と発音していました。
弊社もまねて、「やれ」と表記しております。
桐の木には鳳凰が住むとされ、古くは皇室ゆかりの者だけに許される高貴な柄でした。
千家好み柄のひとつで、「置き上げ」は木版では無く、厚手の型紙を用いて制作します。
輪が縦横に連続して広がっている模様はもともと「四方(しほう)」と呼ばれていました。
円形を上下左右にずらして配列してあるの文様は、世界各地でみらます。
『小花七宝』のように、左右非対称の柄が規則的な幾何学文様に中に描かれるのは、とても日本的な発想です。
茶道、千家好み柄。
中国の伝説では、鳳凰は王の出現を祝福する鳥で桐の木に住むとされました。
故に日本での桐紋は皇室ゆかりの人々のみに使用されていました。
やがて公家や武家も使用するようになり、様々に形を変えて用いられました。
長い時を通じて、桐紋は人々の憧れでした。
京にある観世家の屋敷跡には、観世家の人々が水を汲んでいたとされる「観世井」、「観世水」と呼ばれる井戸があります。
この井戸の水は、常に渦を巻いていたため、龍が降りてきてこの井戸に入ったという伝承が残されています。
観世水文様は、この渦を巻いた井戸の水からヒントを得てつくられた文様です。
江戸時代の後期には、歌舞伎俳優の澤村源之助(四代目澤村宗十郎)が「小間物屋弥七」役で、観世水を描いた舞台衣装を着たことから大流行したようです。
別名『鳥襷』
襷(たすき)とは、着物の袖をたくし上げるために、肩から脇にかけて結ぶ紐のことです。
交差する線を尾長鳥で表現した鳥襷は、有職文様の華やかなバリエーションのひとつです。
屏風裏紙として良く用いられますが、その場合は「雀型」と呼ばれます。
字のごとく、網の代わりに竹や木を編んで作った魚を取るための道具の名称でした。
後に、その機能的な美しさが好まれ、垣・屏風・天井等、建築に取り入れられ、多く意匠化されました。
「朝ぼらけ 宇治の川霧(かわぎり) 絶え絶えに あらはれわたる 瀬々(ぜぜ)の網代木」
平安時代の宇治は貴族の別荘地で、あの平等院鳳凰堂も藤原道長の別荘でした。
初冬の宇治川で稚鮎を捕る、網代漁が風物詩となり人々の憧れと共に多くの詩に詠まれました。
中国では、若松は一年中緑を絶やさない事から「若々しく生命力が溢れる」物の象徴とされていました。
そこから、松は長寿の節操の象徴とも言われいます。
古来、神がこの木に天下るのを「待つ」という意味を込めて、新年に門松を立てて正月を迎えました。
そして、厳しい寒さを凌ぎ緑を保つ松は、吉祥樹とされています。
すべての文明は、大河の流れに沿って発生し「流水文」は縄文式土器にも表現されています。
かって、大自然に守られた日本の河川は美しく、その水に清められた感性は素晴らしい芸術を生み出します。
日本人は、河の流れに人生の浮き沈みを例えて思いをはせてきました。
丁字とは、香辛料のクローブのことです。
渡来した当時は、薬や香として使われましたが日本・中国では産出されず、熱帯アジアからの輸入のみで希少価値が高かったため宝尽し文様になりました。
「宝尽くし文様」とは、如意宝珠、宝鑰(ほうやく)、打ち出の小槌、金囊(きんのう)、隠れ蓑、丁字、宝巻、分銅などを集めた文様のことです。
縁起のいい文様として祝儀の着物や帯柄に好まれました。
松は、不老不死の仙人の住む蓬莱山に生い茂り、梅竹と併せて「歳寒の三友」として吉祥を意味します。
気高く生きる松の様に、高貴な人格を保ち長生きを願う為、今でも結婚式などの祝儀事には頻繁に使われています。
松は、不老不死の仙人のすむ蓬莱山に生い茂る為「吉祥」を意味します。
松葉が放射状に開いたものは「軸松」とも呼ばれ、上から見て円形に表現したものです。
江戸時代に多く見られます。
尾形光琳(1658〜1716)江戸中期の京都の絵師で「琳派」とは、
本阿弥光悦(1558〜1637)、俵屋宗達(〜1640頃)、尾形乾山(1663〜1743)、酒井抱一(1761〜1829)にいたる系譜をいいます。
擬人化した「松」が近所の噂話をしています。
ユーモラスな意匠は「琳派」の代表作の一つですが、光琳没後のアレンジです。
荒波の打ち寄せる磯は、いつまでも続く生命力を感じさせます。
波は、目に見えない宇宙からの力を視覚化したもので、その周期・リズムを壮大に表しています。
島国である日本では、海に対する神秘性が強く、世界でも類を見ない程美しい意匠が多くあります。
料紙の柄としても古くから使われています。
「三枡紋」を互い違いに組み合わせた連続文様。
歌舞伎の八代目市川團十郎が「一谷武者絵土産」の岡部六弥太に扮した際の衣装柄に用いました。
「歌舞伎」の由来は「かたむく」の古語である「かぶく」を名詞化した「かぶき」と言われています。
戦国時代から江戸にかけ、派手な衣装で常軌を逸脱した者達を「かぶき者」と呼びました。
分銅は、宝尽し紋様のひとつで、かつて両替商が金銀銅の目方を量るために使ったおもりの形です。
昔は、金銀そのもので分銅を作っていたこともあり、分銅自体が財宝と考えられました。
円の左右を弓形にくびれさせた形で、それを崩してつないだ紋様です。
このギザギザの線で構成した紋様は、日本では縞柄に分類され、「山路紋」又は「山道」などと呼ばれています。
エジプトにも、ナイル川の流れをデザイン化した似た文様があります。
そこには、川の流れに生と死そして再生への想いが込められています。
唐草紋様は、無限に発展し続ける永遠の生命を表しています。
一見複雑な構成ですが、決まったパターンのくり返しで、人類の歴史と想い重ねることが出来ます。
丁子は5,6世紀ごろには日本に紹介されていました。
正倉院の宝物の中にも、当時輸入された丁子があります。
蔓植物の連続紋様は世界各地に見られます。
無限に成長・発展を続ける姿は、いつの時代も人々の憧れです。
唐草紋様も、時代と共に他の草花を巻き込み発展します。
牡丹は、古来中国では富の象徴で、「百花の王」と讃えられています。
日本は気候風土に恵まれ、とても水のきれいな国でした。
山に降った雨はろ過され川となり、人々の生活を守っています。
日本人の優れた美意識の根源には美しい水があり、この水で他国の文化を洗練し日本独自の文化を創ってきました。
尾形光琳「紅白梅図」の意匠です。
菊は中国原産で、日本には奈良時代に薬草として伝来しました。
中国では、長寿延命の薬として菊茶、菊花酒を飲まれていますし
日本でも解毒作用が有るとしてお刺身に添えられています。
菊水紋は長寿延命に意味があります。
名前の由来は不明ですが、古い見本帳にこの紋様があり「虎屋菱」と名付けられていました。
中国・朝鮮の「宝相華」「唐花」に似たデザインがあり、そこに松葉が加えられています。
シルクロードにより伝えられ日本でアレンジされた物でしょう。
大陸の雰囲気が色濃く感じられます。
名前の由来は不明ですが、古い見本帳にこの紋様があり「虎屋菱」と名付けられていました。
中国・朝鮮の「宝相華」「唐花」に似たデザインがあり、そこに松葉が加えられています。
シルクロードにより伝えられ日本でアレンジされた物でしょう。
大陸の雰囲気が色濃く感じられます。
撫子科の多年草。
撫子の名の由来は、「撫でるように大切な子」から来ています。
優美な姿から、皆から愛される女性の象徴となりました。
日本女性を『大和撫子』と称えるのもそのためです。
江戸初期の芸術家、本阿弥光悦の意匠とされています。
光悦は、徳川家康から京都の洛北鷹峯に広大な土地を与えられ芸術村を築きます。
各種工芸家の総合プロデューサーとして活躍しました。
モチーフの特徴を捉え単純化した「琳派柄」は唐紙文様に多く伝わっています。
松は、不老不死の仙人の住む蓬莱山に生い茂り、吉祥を意味します。
五葉松は山に自生する松で、枝は水平に伸び、針状の葉が5枚ずつ束に付きます。
盆栽に最も適した木とされ、ヒメコマツとも呼ばれています。
松のように気高く、高潔な人格を保ち長生きを願う意味が込められています。
卍を崩してつなげた紋様で、卍繋ぎ・卍崩しとも呼びます。
卍文様は、太陽賛美であり永遠や不滅、恩恵の象徴とされ、その連続文様は無限の吉祥をを意味します。
紗綾とは、桃山時代に中国から輸入した織物の名称で、その地紋に使われていたことから「紗綾形」と呼ぶようになりました。
龍は中国神話に登場する空想上の神獣です。
雨竜は、成長途中の姿で「大器晩成」の意が込められています。
角を持たず水中に住み、五百年で角を持つ龍となります。
さらに千年後に翼を持ち天に昇り、五穀豊穣の雨をもたらす龍神になると言われています。
梅は厳寒の中逆境に耐え、香り高く咲くことから、人生の理想として愛されました。
『好文木』とも呼ばれ、学問が栄えると立派な花をつけると伝えられています。
学問の神様、菅原道真公ゆかりの天満宮にも梅紋が使われるのもその為です。
有職文様でもある「松喰鶴」がくわえる‘‘根引き松‘‘の意匠と思われます。
京都では古くからお正月に 根が付いた松を門松として飾ります。
「神様が家に根付く様に」 「地に足がついた生活が送れるように」 そのような意味を込めて 根を残してある縁起物で、吉祥文様として使われます。
唐草丸と呼ばれる円を描く唐草に、秋に咲く花 桔梗と女郎花(おみなえし)が描かれています。
秋の花は風情があり、多くの歌人・芸術家たちに親しまれてきました。
茶方好み。
日本庭園では、冬の霜から苔を守るために松葉を敷きました。
霜が降りて持ち上がった地面が乾燥し、苔が剥がれてしまうのを防ぎます。
松葉は巧みに絡み合い、苔から風で飛ばされないのが先人の知恵です。
茶人はこれを大切な行事とし、秋が深まると庭に松葉を敷き、緑が徐々に茶色に変わる様子を風情としました。
この版木は、大正時代に彫られたものです。
大阪へ大正天皇が表具を展覧された際、この唐紙で屏風を作り表装の説明に使われたそうです。
当時、この16枚の花弁を持つ菊は、皇室以外で使用することは出来なかったそうです。